教育用レゴブロックや算数ブロック、ロボットなどの教材で学ぶ科学教室トゥルース・アカデミー代表の中島晃芳です。 このブログは、当アカデミーが月に1回発行しているお知らせ「Truth通信」に、2004年より掲載している「トゥルースの視線」をまとめたものです。 科学教育や算数教育、ICT教育、ロボット教育、ロボカップジュニアなどについて私の雑感を書き記しています。ぜひご一読いただければ幸いです。
2010年1月1日金曜日
●2010年 新年のごあいさつ ~科学の芽・科学の茎・科学の花~
新年明けましておめでとうございます。旧年中は、暮れのX’masサイエンス・フェスティバル、ロボカップジュニアの運営を始め、ご父母の皆さまの当アカデミーへの日頃のご理解・ご協力に深く感謝申し上げます。本年も変わらぬご支援を頂ければ誠に幸いです。
当アカデミーは昨年創立20周年を迎え、社名を「株式会社Truth Academy」に改称いたしました。また、今年10月で教育用レゴブロックとロボットを教材とした科学教育を始めて満10年になろうとしています。既にお知らせしておりますが、この節目の時期に、レゴダクタコースの全面的な改訂、リトル・ダヴィンチ「科学アカデミー」「算数アカデミー」の新設等、科学教室としてこれまでの実績も踏まえた上で新たなチャレンジを行います。
科学、すなわちサイエンス(science)の語源はラテン語で「知識・原理(scientia)」で、「分ける(scindere)」に関係していると言われています。中世ヨーロッパでは、現在「自然科学」にあたる言葉であるscientia naturalis(スキエンティア・ナトゥーラーリス)は「自然に関する知識」のことで「自然哲学」とほぼ同じ意味で用いられており、「哲学(philosophy)」は元々ギリシャ語で「知を愛する」という意味だそうです。自然について知ることを愛する学問。なんて素敵な言葉なのでしょう。
自然科学を一言で表すならば、「自然法則の解明」に他なりません。観察した事柄に共通した固有の性質を見つけ、それがどのような法則によって多様に変化するかを考えること。多様性の根底にある法則を発見するためには、対象の本質を捉える分析力が必要です。物理学者R・P・ファインマンは、次のような言葉で表現しています。「自然を理解するときの一つのやり方は、神々がチェスのような優れたゲームをやっているのを想像してみることです。こうした観察から、ゲームのルールや、駒の動きのルールがどうなっているかを分かろうとする訳です」。
「科学的真実」という言葉が使われることがあり、学校の理科はこの科学的真実を学ぶ教科と言ってもいいでしょう。しかし、「科学的真実」とは何でしょうか?世界を代表する天文学者ピエール・レナは、「科学における真実とは、暫定的な真実、あるいは一時的な真実(Provisional truth)とでも呼べるでしょう。しかし、それは真実なのです。その真実が時間とともに変わるのです。しかし、それは改善途中にありますが、依然として真実なのです。科学的な真実は時間とともに移って行く。ですから、最も深く熟慮され、最も確実かつ矛盾が生じていないと評価された内容が、その時点での科学的な真実なのです」との述べ、ノーベル賞受賞者たちを唸らせる天才的科学者・教育者であるイラン・チャバイは、「科学的な視点からは、絶対的な『真実』あるいは事実というのは有り得ません。科学者は、考え得る最良のモデルを作ることを試み、そしてよりよい近似解を求め続けるのです」とまで断言しています。ですから、科学とは、新しい発見による革命的な一揺れがきたら、いつ倒壊してもおかしくない「科学的仮説」の建造物である、とも言えるのかもしれません。
ここで、「科学的であるか?科学的でないか?」ということも重要になります。哲学者K・R・ポパーは反証(間違っていることを証明すること)が可能な理論は科学的であり、反証が不可能な説は非科学的だという「反証可能性」をその両者を分ける基準として提案しました。作家であり物理学者である寺田寅彦は、「物理学は他の科学と同様に知の学であって同時に又疑の学である。疑うが故に知り、知るが故に疑う。疑は知の基である。能く疑う者は能く知るものである」と述べています。
どうも、「科学を学ぶこと」と「科学者であること」とは大きく異なるような気がします。科学を学ぶためには教えられたことを信じなければ始まりません。では、どのようにしたら科学者になれるのでしょうか?
アインシュタインは、「われわれが経験できる最も美しいものは神秘的なことである。それは、真の芸術や科学の誕生に伴う基本的なセンスである」「好奇心はそれ自体で存在する根拠があるのです」と、不思議だと思うこと、好奇心をもつことは、科学者の持つべき大切なセンス(感性) であるという言葉を残しています。またさらに、「この繊細な若草は、刺激の他にとりわけ自由を必要としている」と、現代教育の知識の強制を憂え、人間は生まれつき遊びを通して自由な知的好奇心を持つことがポイントである、と考えていたようです。
科学を学ぶことは学校でも一般の塾でもできます。当アカデミーは、この自由な知的好奇心を刺激し、科学者の資質を大切に育む場として、新しい一歩を踏み出したいと願っております。今後ともご指導、ご鞭撻、よろしくお願い申し上げます。
ふしぎだと思うこと
これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
これが科学の花です
― ノーベル物理学者 朝永振一郎 ―
【参考文献】
科学者という仕事―独創性はどのように生まれるか(酒井邦嘉著・中公新書)
幼児期に育つ「科学する心」―すこやかで豊かな脳と心を育てる7つの視点(ソニー教育財団)
To be continue・・・