2007年12月1日土曜日

【第31回】生のための学校 「フォルケホイスコーレ」③



― 風車発電と「旅するフォルケホイスコーレ」―

「政府が60万キロワットの原発を一基つくりたいと言うのなら、われわれは風車発電を、かつてのデンマークに存在した数だけ、つまり三万台作ろう。一台20キロワットとすれば、原発と同じ発電量になるではないか。政治家は、そんなことできっこないと言うかもしれないが、それをやって民衆の力を思い知らせてやろう」(フォルケセンター所長ブレーメン・メゴール)

70年代前半のオイルショックによるエネルギー危機により、デンマーク政府は原発の建設を始めようとしました。しかし、あるフォルケホイスコーレが中心となり、国内で激しい反対の声があがります。その学校では、ポール・ラ・クール(第29回参照)にならい、学校全体をまかなえる巨大な風車発電の建設に乗り出したのです。当然、専門家やマスコミは愚かなとこととあざ笑っていました。

自ら土台作り、鉄骨組み、コンクリートの流し込み、スクラップ等の材料集め、クレーン車や発電機は中古品、グラスファイバー加工は工場で見習い労働して学び、その技術を生かしたそうです。学生と教師が一体となり、議論を積み重ね、納得いく形で仕事を進めていきました。その間に、国民のネットワークは広がり、デンマーク中から学生や若者が多数手伝いに来て、当時の市価の何十分の一のコストで1978年に完成。政府や大企業が及ばない、段違いの稼動時間と発電実績を誇っています。これを見習い、各地のフォルケホイスコーレや民間の小企業、個人レベルの地域協同組合が次々と建設を始め、電力会社に自家発電の電気を売る仕組みができたのです。ブレーメン・メゴールは「巨大な資本をどんなに投下しても、机上の計算を当てはめてる大企業や行政のようなやり方では成功するはずがない」と語っています。
一方、「旅するフォルケホイスコーレ」というカリキュラムが、北欧のフォルケホイスコーレに取り入れられています。旅の目的地はアフリカやアジアなど途上国が中心。現実に援助の必要性があり、実際に当事国に役立つことを目的とします。
学期は8ヶ月あり、2ヶ月は旅の準備。行先の気候や食事・慣習等の情報収集、言葉の習得、事前調査、体力づくりから購入した廃バスの整備点検も。旅は4ヶ月。まず、現地のNGOを訪ね実情を把握。そして、識字教育や保健衛生、農耕、灌漑、学校建設等、必要とされる様々な援助を開始。活動を通し、その実情、自身の関わり方や生き方、そして生活の技術を学びます。帰国してからは、その国の現状や必要とされる協力・援助を国内の人々に訴える企画や報告書作りを行います。また後輩へ経験を伝え、アドバイスすることも大事。実践を通し学んだことが、狭い自分の周りだけではない遠い世界の人々の境遇をも自己の問題としてとらえるだけの想像力と共感する力を身につけさせるのです。

11/28朝日新聞の記事に、日本の小中学生は「実験や観察は好きだが、実験結果から考察したり活用したりする力は定着していない」という国立教育研究所の分析がありました。どんなに実験授業を受けても、予定調和的な実験には、知識を与える力しかありません。自らの体験に裏打ちされた知識と正しい科学的なものの見方、実験のプロセスを考える力、批判的思考、問題解決力を育てない限り、単なるサイエンスショーか、本の知識を確認するだけに終わってしまいます。今回紹介した、社会や世界との関連の中で人生経験を積み、自らの肉体と精神を通して生きるために必要な力を学んでいく、フォルケホイスコーレの活動は、大きな示唆を含んでいるように思います。

【参考】『生のための学校』(清水満著:新評論)

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2007年11月1日木曜日

【第30回】生のための学校 「フォルケホイスコーレ」②

―民衆の自発的な教育のイニシアティブ―

前回お話したラ・クールが教鞭をとり、グルントヴィよって提唱された「フォルケホイスコーレ」は、これまで英国やドイツを模範的としてきた日本の教育では考えられないほどの自由度を持っています。現在デンマークに100校前後あり、ノルウェー約80校・スウェーデン約120校、フィンランド約90校、英国・ドイツ・米国・東欧諸国・インド、ナイジェリアやケニアなどアフリカ諸国、日本など全世界で様々な展開をしています。各校それぞれ特色があり一括りで定義できない点もありますが共通点は以下のようになります。

・ 満17歳以上ならば、国籍・年齢・性別・障害の有無を問わず入学できる
・ 試験は絶対にせず、単位や資格の付与もない
・ 教師と学生が寮で共同生活をする
・ 書物よりも対話を中心に、生そのものを学び、社会性を自覚する
・ 授業科目に決まったものはなくカリキュラムは自由
・ 教師はアドバイスを与えるのみで、学生の自主的なグループ学習が中心
・ 政府の補助は受けるが、国家から一切の干渉を受けない私立学校
・ 規模は数十名の学校が主流
・ 学期は短期2ヶ月~長期8ヶ月までいろいろあり、好きに選択できる
・ 技術や知識の取得に主眼があるのではなく、あくまで授業や討論・実践・実習・生活を通して自己発見し、これから生きる自分の道を探すことに力点が置かれる

フォルケホイスコーレは、世界の成人教育・社会教育のモデルとされていますが、日本での教養・趣味のイメージとは異なり、社会との関わりが極めて深いのが特徴で、国の歴史や政治の流れとは切っても切れない関係があります。風車発電は昨今の代表的な例ですが、地域運動・地域づくり・教育・再生エネルギー・途上国援助といった分野では、見習うべき点がたくさんあります。

また、幼稚園、小学校(フリースコーレ)、中学校(エフタスコーレ:全寮制)、さらに上位の「教員養成大学」や学位なども取得可能な「フォルケアカデミー」といった独自の教育体系を持っています。私立学校でありながら、公教育の教育内容もフォルケホイスコーレを模範にし、変革させるくらいの力がある存在なのです。
次回から数回に渡り、フォルケホイスコーレの特徴的な活動や、グルントヴィの思想、小中学校の教育について、ご紹介させていただきます。

【参考】『生のための学校』(清水満著:新評論)

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2007年10月1日月曜日

【第29回】生のための学校 「フォルケホイスコーレ」①


―デンマークと風車発電―

レゴが生まれた国デンマークは、世界一住みやすい国と言われ、食料の自給率は300%(日本39%)、国民一人当たりのGDP(国内総生産)は世界6位(日本15位)、1983年に底をついた出生率は回復傾向になり、少子化対策は終了したとの声も。また、第1次オイルショックの時(1972年)2%だったエネルギー自給率は、1997年には100%、2000年には137%に達しました(日本1973年23%・2003年4.3%)。

デンマークは、世界一のエコロジー先進国とも言われています。1985年原子力発電に依存しない公共エネルギー計画を議会が決議。70年代94%あった石油依存度は2005年40%(日本50%)になり、クリーンエネルギーは電力消費量の20%を担っています。デンマークのクリーンエネルギーの象徴は、風車による風力発電。世界の風力発電装置の45%はデンマーク製なのです。

世界最初に風車発電を実用化したのは、19世紀末デンマークのエジソンと言われた、ポール・ラ・クール。当時は電気が普及し始めた頃で、デンマークは風に恵まれているため、彼は風車発電こそ地域の電化に貢献すると考えました。効率の悪さとエネルギー貯蔵の問題から風車の元祖・オランダでは否定的に考えられていましたが、彼は風力の変動があっても出力に変動のない調速機能を備えた風車発電を開発し、水の電気分解により水素と酸素を発生させ貯蔵する方法を確立しました。風車自体も、従来型の4倍の効率に改善(最新の風車はさらにその2倍ですから彼の研究の素晴らしさが分かると思います)。1885年から1902年まで、彼の所属する学校では風車発電による照明が行われ一日も電力が不足することはなかったばかりか、1902年から1958年まで学校のある町すべてに電気を供給し続けたそうでです。

ポール・ラ・クールが教鞭をとっていた学校は、アスコウ・ホイスコーレ。160年前ほどから始まった、デンマーク独自の、他に比較するものがないほどユニークな学校「フォルケホイスコーレ」(1996年時点で約100校)の一つです。

「フォルケホイスコーレ」は、アンデルセンやキルケゴールと同時代人でありライバルでもあった、N.F.S.グルントヴィ(1783-1872)によって構想されました。詩人・牧師・思想家・歴史家・宗教改革者・政治家など多面的に活躍し、今日の民主的なデンマークの在り方を導いた「近代デンマーク精神の父」として国民からとても尊敬されています。また、教育者としては世界で初めて、社会教育・成人教育・解放教育を提唱した人でもあります。
次回から、フォルケホイスコーレとは、どんな学校なのか?紹介したいと思います。

【参考】『生のための学校』(清水満著:新評論)より
「ポール・ラ・クール―世界最初に風車発電を実用化した男」
(鹿児島大学理学部・橋爪健郎)


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2007年7月1日日曜日

【第28回】フィンランドの教育⑥


 ― 日本の教育とどこが違うか ―

先日、ある生徒のお母様から、日経ビジネス2007.5.28号「フィンランド方式、校長裁量・・・本当の教育再生 光る現場に学べ」を頂きました。特集は『「学力世界一」を創り出す教育現場 フィンランド現地ルポ』。その中に、こんな文章がありました。「もう1つ印象的なのは、教師が教壇に立つ一方的な授業風景がすくないこと。(中略)いずれも自分で選んだテーマだ。教室のあちこちで生徒が行き来して情報交換をしている。まずは生徒同士が話し合い、それでも分からないことは先生が助ける」

実は、これがフィンランド教育の学力の高さを生む要因の一つなのです。「協働(co-operation)」であり、「共同(collaboration)」が、その根底にあります。フィンランドには元々「三人の鍛冶屋」という銅像に象徴されるように、協働の概念は根強く民衆の中に息づいているのですが、改革後の教育に大きな影響を与えた、発達援助学ユリア・エンゲストローム の研究が理論的な支えとなっています。個人は一人で生きているのではなく、共同的な活動システムの中で相互に影響しあことで、ある活動システムに生きる具体的な人間が発達していくという考えを持っています。

当アカデミーでは、互いに刺激し合い、意見の交換をし合うという生徒同士のコラボレーションから、互いに知恵や知識を高めていく指導法を採っています。フィンランドの教育と当アカデミーの教育理念は、様々な点で共通したものが流れているようです。

前出の日経ビジネス5.28号には、オッリペッカ・へイネマン元教育相のインタビューが載っています。90年代の教育大改革を30歳前後で成功させた元教育相の言葉は、短いながらも説得力があります。以下、一部抜粋して紹介させていただきます。

― なぜ、落ちこぼれを作らない教育に力を入れたのか。
人口が少なく、資源も乏しいフィンランドでは人が頼れる財産。誰一人として疎かにできない。よく平均の底上げに力を入れると、できる子が育たなくなるという批判を聞くがボトムアップ教育とエリート教育は二律背反するものではない。基礎教育の母体がしっかりしていないと、突出した存在は生まれない。

― テストで順位をつけないなど、他人との競争を煽らないことに配慮してきた。
人間は生まれながらに競争心を持っている。これは自然に育まれるものであって、意図的に引き起こすものではない。そもそも勝者の道筋は1つではない。競争は他人と比較するのではなく、自分との戦いであるべきだ。人間形成の段階で、無理に競争を煽ると子供たちが自分を見失ってしまう。

― なぜ、知識を詰め込むのではなく、「考えさせる」教育に力を入れたのか?
知識が全てムダとは言っていない。樹木に例えれば、時代が変わっても古くならない根っこの知識を教えるのは重要だが、枝葉末節まで詰め込ませる必要はない。変化が激しい時代に生き抜くには、自ら情報を集めて考え抜く力を育てることが大切だ。

【参考】「フィンランドにおける発達援助学の現在」
「コラボレーションの発達援助学 高い学力は『安心と共同』の学びか』」
どちらも、北海道大学大学院教授・庄井良信

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2007年6月1日金曜日

【第27回】フィンランドの教育⑤



― 日本の教育とどこが違うか ―

「サンタクロースとムーミンの国」フィンランドと、起業家精神教育とは、どこかミスマッチな気がしますが、前回の続きで『バーサモデル』についてお話します。

フィンランドでは日本同様1990年代前半にバブル経済が崩壊し、最大貿易相手国ソ連が消滅。1930年代以降最も深刻な景気低迷を経験しました。そこで、フィンランドは、かつての工業中心の産業から知識産業・「知業」への歴史的転換を試み、成功させたのです。知業とは、ソフトウェア・著作権・情報・デザイン・ブランド・特許・サービスなどの知的財産を中心に付加価値を生む産業構造です。知的財産を創り出すには、何より「創造力」が重要となります。また、知業時代では変化のスピードが速く、変化の質も非連続で予想不可能。変化に対応するためには、内容より方法、判断力、柔軟性、目的指向が必要とされます。そして、学校を卒業しても、一生学び続ける必要があるのです。

そのような状況下、西部バルト海岸のバーサ市で発足した起業家精神教育プロジェクトが「バーサモデル」なのです。バーサモデルは、いわゆる日本で一般に起業家精神と言われる、独自のビジネスをスタートさせて経営するといった「外的起業家精神」ではなく、「内的起業家精神」を目指すものです。
内的起業家精神とは、創造性・柔軟性・勇気・イニシアチブとリスク管理・協調性とネットワーク能力、ものごとを達成するモチベーション、常に学び続ける態度・空想性・豊かな発想・我慢強さを意味します。バーサモデルで重視されているのは、子供の自己効力感(self-efficacy:ある結果を生むために必要な行動をどの程度うまく行うことができるかという確信・自分が努力すれば何ごとも成し遂げることができるという自信)であり、これを就学前からもたせることによって、子供は自尊心(self-esteem)が高く、何事にも諦めない性格を持つようになると考えられています。 

そして、以下のことを主眼に置いています。

(1)自分で考え判断させる態度の育成  まず、子供が何事も自分で考え、独自に判断を行い、自分の判断によって引き起こされた結果を受けとめることができるようにさせる。その過程で、何事にもチャレンジし、失敗から新たなことを学ぶ学習態度が奨励されます。また、結果より目的やプロセスが重視されるのです。

(2)学ぶ動機の維持  子供たちが行ったことに対する正確な評価をフィードバックし、他者からどのように評価されるかを正しく理解させることにより、次の学習や活動へのモチベーションを維持させる。また、子供たちが自ら学ぶ学習計画自体に参加することにより、主体的に学習意欲を高め、学習の目的意識を定着させます。チームによるグループの協力作業も奨励されています。

(3)実社会との壁を取り払うこと  学校は閉ざされた環境ではなく、企業・社会・家庭との連携を密にすることによって、子供にとっての学習と社会の関わり、学ぶことの意味を体験させます。そのことで、子供たちには、学校で学ぶことが将来どのように役に立つか、見えてくるのです。

日本は、大量生産時代にマッチさせるために、個性や長所を伸ばすよりも「欠点のない子供」を育てる教育を行い、他人が考えつかない創造性より他人が知識を覚えさせ、用意された正解にいかに速く正確にたどり着くかを競争させてきました。新たな知業の時代に突入した今、教育に何が必要なのか?大いに参考にすべきものがあると感じます。
【参考】
「福祉と経済を両立させる知業時代の教育システ
―幼児期から自己効力感を育てる内的起業家精神教育」(北海道東海大学教授・川崎一彦


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2007年5月1日火曜日

【第26回】フィンランドの教育④


― 日本の教育とどこが違うか ―

日本ではつい先日43年ぶりに全国学力テストが行われ、賛否両論巻き起こりましたが、フィンランドでは、序列をつけたり他人と比較するためのテストはなく、学校を超えた統一試験のようなものもありません。評点はありますが、各教師によって専門性をもって判断され、あくまで個人の到達度を計るものです。

94年以来改革の基調は、主に以下の3点に集約されます。<1>すべての子どもの必要に応じること<2>教えることから学ぶことへ<3>国家の規制の縮減、地域・学校の権限の拡大、生徒・父母・教師の参加へ。評点は、この<1>を実現するためのものなのです。 上記<2>は、視線24回の⑪社会構成主義的な学習概念(socio-constructivist learning conseption)に密接に関係しています。これは当アカデミーの指導理念である「コンストラクショニズム」をベースにしています。ここでは、「学習とは、子供や若者が自分の人生に必要な知識を自ら求め、知識を構成していく活動であるべきだ」と考えられています。要するに、知識というものは、学ぶ者が自ら探求し、自分なりに作り上げていくべきであり、教育はこの学習を支援する活動なのです。また、若い学習者が将来に必要とするのは「学習のためのスキル」であり、学校は子どもたちが学習のためのスキルと情報を獲得する学習センターにならなくてはならないと考えられています。

また、1993年から始まった『バーサモデル』と称される「就学前からの起業家精神教育」が世界的に注目されています。これは、「教える教育から学ぶ教育へ」「内容よりも方法を重視する」「起業家精神教育という特定の科目を作るのではなく、すべての科目にわたって起業家精神教育的な考え方を導入する」ということをコンセプトにしており、狭義の起業家教育ではなく、実は知業時代に対応する広範な教育意識改革なのです。
次回、この「バーサモデル」について詳しくお話いたしますが、まず知識を与え、予定された正解に早く正確に到達させることに重点が置かれる日本の教育とは大きく異なる考え方をしているようです。
【参考】前回・前々回の資料に加え、
「福祉と経済を両立させる知業時代の教育システ
―幼児期から自己効力感を育てる内的起業家精神教育」(北海道東海大学教授・川崎一彦


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2007年4月1日日曜日

【第25回】フィンランドの教育③


― 日本の教育とどこが違うか ―

現在、日本の教師像は、現場で真剣に頑張っている先生方がかわいそうになるくらい、惨憺たるものです。確かに一部特殊な教師による犯罪、極端に誤った指導や問題への対応は、うんざりするほどマスコミでも報道されています。一方で、ある小学校では運動会の後に親たちの飲み会に呼び出され、「ウチの子になんであんなレベルの低いことをさせるのか?」とつるし上げられる先生もいる程、教師に対する信頼や期待を端から持っていない親もいるという現状もあるようです。これでは、子供も先生を尊敬する気持ちなど持ちえません。

フィンランドでは古くから「国民のロウソク」と呼ばれ、人々を導く正しい知識やモラルの持ち主として尊敬され、最も魅力的な職業とされています。高校生を対象とする、なりたい職業の調査(2004年)では、教師がトップ(26%)。教育学部大学院の倍率は10倍以上であり、最も優秀な学生が教職についています。なおかつ、初等教育(学級担任教師)と中等教育(教科担当教師)は、最短で5年間を要する大学院レベルであり、教師は全て修士号所得者(ヨーロッパでもフィンランドのみ)。これは、教師教育に関して、「授業者であるだけではなく、子どもの成長を支える意味での教育者を育てる」「教師教育の学問水準を上げる」「理論的学習と実習の統合を図る」「教育学的学習と教科的学習を統合する」といった本質的な視点から本格的な検討が継続的に行われ、改革を着実に実現してきた結果なのです。

また、スクールカウンセラーやスクールサイコロジストを配置しており、ほとんどの親が共働きであるためアフタヌーン・ケア(託児所)が学校に併設されていますが、これは学校とは別の組織が運営しています。教師は授業以外の負担を最小限になるよう配慮されている一方、就職後も自ら研究し、新しい教育思想や教育法を探究し続け、自己研修の能力を身につけることを要求されるのです。
ですから、行政側も教師の能力を信頼し、前回紹介した「⑥全体は中央で調整されるが実行は地域でなされるというように、教育行政が支援の立場に立ち、柔軟であること。」が可能となるのです。これをイギリスの新聞で「自由と自治がフィンランド的なやり方なのだ。抑圧よりも、教育学で言う創造性が奨励されている」と紹介しています(2003年9月16日ガーディアン紙)。

ここでも日本の教育行政が進もうとしている方向性は、これと正反対の方向を向いている気がしてなりません。
【参考】前回資料に加え「教師教育の改革と教師像―2003年の調査と研究交流から」都留文科大学教授・田中孝彦

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2007年3月1日木曜日

【第24回】フィンランドの教育②


― 日本の教育とどこが違うか ―

フィンランドの教育がなぜ成功したのか。フィンランド教育省は次のように説明しています。
①家庭、性、経済状態、母語に関係なく、教育への機会が平等であること
②どの地域でも教育へのアクセスが可能であること
③性による分離を否定していること
④全ての教育を無償にしていること
⑤総合性で、選別しない基礎教育
⑥全体は中央で調整されるが実行は地域でなされるというように、教育行政が支援の立場に立ち、柔軟であること
⑦全ての教育段階で互いに影響し合い共同する活動を行うこと。仲間意識という考え
⑧生徒の学習と福祉に対して個人にあった支援をすること
⑨テストと序列をなくし、発達の視点に立った生徒評価を行うこと
⑩高い専門性をもち、自分の考えで行動する教師
⑪社会構成的な学習概念(socio-constructivist learning conseption)

上記①~④に見られるように、高福祉国家の特徴として格差を生まない社会を目指し、あらゆる差別との決別、多様性の尊重を実現していることが、まず社会的背景として考えられます。事実、貧富の格差が最も少ない国だそうです。

フィンランドの学力の高さとして、(1)学力水準=平均点の高さ(2)学力格差の少なさ(3)社会経済的な背景の学力への影響の少なさ―が挙げられます。読解力における習熟度レベル別の生徒の割合(2004年)では、社会生活が困難と思われるレベル1未満が極めて少なく、世界の平均より上というレベル3~5がほとんどです(レベル1以下はフィンランド5.7%・日本19.0%、レベル3以上はフィンランド79.8%・日本60.1%)。この点を、PISA調査委員会は、1970年代の教育改革における「平等」の追求が高いレベルの「質」を実現したと評価しています。

どうも、在るべき国家像を求め、不断の努力と改革を行ってきた国と、国家像が示せない国との大きな違いがありそうです。これは、私たち大人が皆、責任を持って考えなければならない課題であるように思えてなりません。
次回は上記⑩の教師像を中心にお話させていただきます。

【参考】
「競争しなくても世界一 フィンランドの教育」 都留文科大学教授・福田誠治
「フィンランドの教育の優秀性とその背景」 東京大学教授・佐藤学

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2007年2月1日木曜日

【第23回】フィンランドの教育①


― 日本の教育とどこが違うか ―

以前にも取り上げましたが、15歳を対象にした「経済協力開発機構(OECD)生徒の学力到達度調査」(PISA 2003)でフィンランドは、数学的リテラシー2位(日本6位)・読解力1位(日本14位)・科学的リテラシー1位(日本2位)・問題解決力3位(日本4位)とすべての項目でトップクラスに位置しており、「学力世界一」「教育大国」として世界の注目を集めています。日本を模範とした六・三制の義務教育、7~14歳児の総標準授業時間は加盟国で最短、学校外の学習時間も最も短い国の一つ。なのに、なぜこれほどまでに高い学力を実現できるのでしょうか?

日本では今年1月24日、政府の教育再生会議の第一次報告が安部総理に提出されました。ゆとり教育を見直し、授業時間の10%増加、読み書き計算能力などの基礎徹底、教員免許に更新制の導入、全国統一テストの実施、いじめっ子に対する出席停止処分など、その内容はマスコミでも大きく報道されました。

そもそもPISAが測定した学力は、知識が高度化・複合化し、流動する社会を見通して、教科の枠を横断しての能力(Cross Curriculum Competence)・問題解決力・批判的思考(critical thinking)・自己肯定感(self esteem)といった、21世紀に求められるリテラシーであって、旧来の「学力」とは異なるのです(視線12回参照)。しかし、日本のマスコミでは、「2+3×4=20と解答する子供が多くなっているから、学力が低下している」といった取り上げ方が多く、PISAの学力観を正しい紹介はほとんど見られません。

かつては「自殺大国」とまで言われたフィンランドは自殺率を劇的に減らし(今や日本はロシア・ウクライナ・ハンガリーに並ぶ自殺大国)、教育大国と呼ばれ、世界一の携帯電話メーカー・キノアに代表されるように経済面でも国際競争力は、世界経済フォーラム(WEF)によると2001年1位(日本21位)・02年2位(日本13位)・03年1位(日本11位)・04年に1位(9位)と、トップクラスです。

数回にわたってフィンランドの教育をご紹介し、日本の教育とどのように違うかを考えてみたいと思います。

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2007年1月1日月曜日

●2007年 新年のごあいさつ


新年明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。

昨年末のクリスマス会は、生徒・ご家族・スタッフ総勢600名を越す盛大な会となりました。今年も都立高専の先生方や学生の皆様、ボランティアの方々にも 多数お力を貸して頂き、心より感謝しております。なお、今年は「みんなでつくるクリスマスパーティー」をテーマに、トリンカ大会や映画製作、企画アイデ ア、事前準備を始め、ロボットコンテストの運営を含め当日も多くのお父様・お母様のご協力を頂いたり、親子で一緒に楽しむコーナーを 多く設けたりしました。お子様たちが楽しみにしている年に一度の大きなイベントに多大なご理解とご協力、本当に有難うございました。ご父母の皆様のお子様 に対するお気持ちが少しでも多くお子様たちに伝わったのであれば、誠に幸いです。至らない部分も多々あったかと思いますが、大変救われました。心より御礼 申し上げます。

子供と接する貴重な時間によって大人は大人に、親は親になれる、子供を大切な宝として、いとおしく思えるのではないか、というように考えております。経済 第一主義の世の中、忙しい日々を送っていらっしゃるお父様・お母様に、その時間が少しでも多く取れる機会を作り、私共も大切なお子様の成長に共に関わらせ ていただけるようになれればと望んでいます。様々な場面でお父様やお母様に関わっていただく企画を今後年間を通じて企画していきたいと考えております。そ の節はご協力のほど、よろしくお願いいたします。

ところで、お正月の某新聞で、「社会で通用するのは『学歴』ではなく『学力』だ」というタイトルの文章を目にしました。
「企業が求める人材とは、まずは他人の話したことを理解でき、自分の考えをはっきりと人に伝えられるコミュニケーション能力があること。そのうえで、社会 や仕事のなかで自ら問題を見つけ、解決策を考えることができる力、言わば本当の意味での『学力』をもった人材です。そのような能力を培う場所こそが、大学 なのです。高校までの勉強は、正解が分かっている問題を教師の教え通りに解くことでした。それに対して、問題そのものを見つけ、正解の分からない問題につ いて考えるのが大学です」
この文章は大筋で社会で生きていく能力について必要なことを述べている点で納得できるものでしたが、私の中には大きな疑問が残りました。

社会で生きていく本当の力を大学でしか学べないのか・・・?大人の用意した世界に順応する能力を18才まで要求し、その後に自立性や独自性を求め育てるこ とは可能だろうか?遅すぎるのではないだろうか?先月まで「批判的思考(critical thinking)」についてお話させていただきましたが、昨今基礎学力の低下を理由にかつての「読み・書き・そろばん」(考えることより訓練すること を、過程より結果を重視する)の時代に逆行しているように思われます。私共が教育の実践を通じて何をしてきたかと言えば、「教えられた知識を鵜呑みにする のではなく、自分で確かめ自分の頭で考える姿勢や子供たちの脳の中に正しく考える回路を養っていく」ことです。これには時間もかかり、self esteem(自分を深く信頼する心)も培わなければなりません。幼い頃からじっくりと子供と向き合って育てていくことが必要なのではないでしょうか?

昨年はいろいろな構想の中で実現できなかったものや十分期待にお応えできなかったものなどがありました。その反省を踏まえ、今年は昨年なし得なかったこと を、当アカデミーの理念と教育方針に照らし、着実に一歩一歩実現していければと考えております。そして、日本の教育全体において失われている片翼を補うよ うな教育の実践を有効に行っていきたいと、熱く願っております。

今後ともご支援のほどよろしくお願いいたします。
▲東大が発表した
「未来のリビングルーム」では
ロボットが人間の行動を支援する
▲父母アイデアから
企画されたコーナーは大人気
▲父母とのチームワークで
取り組んだ
おかしバランス遊び