2009年3月1日日曜日

【第42回】ロボカップジュ二ア⑦最終回


― ロボカップジュニアと大人の関わり方 ―

ロボカップジュニアの各チャレンジ(サッカー・レスキュー・ダンス) のルールは毎年改訂されます。その理由の一つとして、世界の教育学者が考案した課題を子供たちが様々なアイデアと工夫を凝らしてクリアしていくため、毎年レベルを上げざるをない、ということが挙げられます。また、ルールには次のような厳しい規定があります。

●指導者(教師、父兄、保護者、その他大人のチームメンバー)はチームの作業エリアに入ってはならない。
●指導者はロボットに触れたり、ロボットの作成、修理、プログラミングに関わってはいけない。
●指導者がロボットや審判の判定に干渉した場合、それが初めてである場合は警告が発せられる。そうした干渉が再び行なわれた場合、そのチームは失格になることがある。ロボットが今後の競技大会への参加資格を失い、追放されることもあり得る。
●全てのチームは自分たちの大会参加準備努力を説明する文書資料(書面および/または写真)を持ってこなければならない。これらの文書資料はインタビュー時に見せられるように用意しておくこと。チームが自作のロボットを携えて大会に参加する証拠として、これらの文書資料が要求されることがある。
●チームメンバー自身がロボットの組立とプログラミングを行なったことを証明するために、チームメンバーは自分たちのロボットがどのように動くかを説明することを求められる。
●指導者の援助・助言が過剰な場合や、ロボットが実質的にチームメンバー独自の作品ではないと判断された場合、そのチームは競技会の参加資格を失う。
  さらに、ダンス・チャレンジでは、通常4人の審査員からインタビューを受け、自分自身の力で作ったことを証明しなければなりません。これは、ロボットの演技同様、細かい祭典基準で評価されます。

  つまり、ルール改訂の歴史は、子供の自主的な学習から大人の過干渉をいかに排除するかの歴史でもあるのです。

  初期の頃は、会場内でプログラムを組んでいる先生に生徒が「先生!これじゃ動かないよ!」と叫ぶ、ほほえましい光景も見られたのですが、ルールが厳しくなるにつれて会場外で指導者がプログラムを修正していたり、携帯電話で指示を与えたり、ロボットの組み立てからプログラムまで行った先輩を別のチャレンジで送り込んでロボットの調整を行ったりと、指導者の介入方法もかなり巧妙になってきました。特にプライマリでは、小学生が自分で一所懸命作ったロボットと大人が作ったロボットが対戦するのですから、これまでどれだけ多くの生徒たちが涙を飲んできたか知れません。それが、ここまでルールが厳しくなった理由なのです。スポーツならば子供自身が体を動かすのでこのようなことはないのですが、ロボットはいつ、どこで、どのように、大人の手が加わったかが分からないのです。

  かつてある地域で、ロボットの天才少年というニュアンスでマスコミに取り上げられた子がいました。しかし、世界大会の場で電池1本取り替えられないのが判明してしまったのです。果たして、この子は幸せなのでしょうか?「わが子に勝たせたい」という気持ちは十分分かります。しかし、自分の実力で、自分の努力で勝ち得たものではないことに対して、勝利によって得た幸せな思いは果たしていつまで続くのでしょう?現実を正しく判断できる年齢になった時、辛く苦しい思いをするのは子供自身なのです。成功体験は大切です。しかし、成長のためには、自分の力で得た成功体験しか意味はないのです。

  「荷物を置くだけ」という理由で立ち入り禁止となっている調整エリアに平気で入る大人、スタッフになって調整エリアで平気で指導している大人、子供が問題解決をしようする前に先回りをして手を貸してしまう大人、学習の場として本来子供同士の交流から得るべきなのに優秀な先輩から技術情報を聞き出そうとする大人・・・。自主・自立の精神に基づいた子供の学習を阻む大人たちは後を絶ちません。

  確実に大人は子供より先に死ぬのです。

  教育本来の目的は、「成長する過程で人に頼らず自分の力で立派に生きていける能力を身に付けることにあること」ではないでしょうか?大人に依存しなければ生きていけない子供をつくることではありません。大人のすべき役割は、子供たちの意欲を刺激しながら自主的に取り組めるような学びの環境を整えること、問題に当たったときの解決方法を自ら考えられるように育てること、競技会では子供の力を信じて(大人自身がどんなに辛くても)じっと最後まで見守ること、そして頑張った子供を評価することではないでしょうか?子供との関わりによって、大人も初めて「大人」に成長できるような気がします。


To be continue・・・