2008年11月1日土曜日

【第39回】ロボカップジュニア④


― ロボカップジュニア初期の活動―

当アカデミーが2000年10月年板橋区でレゴの教室を開いた当時はまだまだ認知されず、その後1年半あまり十数名の生徒数でした。2001年に日吉校を開校。偶然にもロボフェスタというロボットの大きなイベントがパシフィコ横浜で行われ、ワークショップを依頼されました。この時からでしょうか、日吉校に生徒が集まるようになり、ロボットの活動をスタートさせました。その生徒たちの中から、今でも「FC日吉」という呼ばれる4人の仲間ができました。

2002年には千葉市の県立現代産業科学館におけるサッカー練習競技会において、高校生を相手に優勝。2005年の関東ブロックでは、このメンバーを中心にサッカープライマリー優勝・準優勝・3位と独占。当時はサッカーだけの時代でした。彼らは今や高校生となり、私が科学館などでロボット講座を行う際に手伝ってくれたり、教室用のロボット製作を担当してくれたり、様々なところで協力してくれています。

そのような活動をしている中、彼らを打ち破って板橋区の教室(当時の城北教室)から「クイック&スロー」というチームが、2004年リスボン世界大会に出場。しかし一方で、精神的に苦しいものを感じるようになってきました。
「クイック&スロー」は、某県で開催されたある競技会で2年連続優勝を果たしていました。彼らはその年、競技会のアナウンスにより、関東ブロック大会の推薦が約束されたと信じていました。しかし、折りしも東京ノードが新たに立ち上がり、他県の練習競技会で優勝したチームを東京ノードの代表として推薦することは当然できません。しかも、その県のノード代表としての推薦を得られる立場はにない。結局、関東進出を約束された某県での優勝は忘れて、東京ノードに出場して予選の最初の一歩から戦うことになったのです。

そのとき私が感じたことは、競技会に生徒たちを出場させることはある意味生徒たちを人質に取られてしまうことにもなる、正しい運営がなされなければ傷つくのは参加した子供たちに他ならない、ということです。そのような経験から、当アカデミーの生徒のみならず参加する生徒たちが気持ちよく参加でき、その意義を感じる大会運営を実現するためには、ロボカップジュニアの運営に参加する以外の方法はない、と思うようになったのです。

そして、2004年3月日本科学未来館での関東ブロック大会の実行委員長の任命を受け、全体を統括運営。同年9月、「ロボカップジュ二アジャパン関東ブロック運営委員会」が組織され、「公平かつ公正な運営」「教育的観点を大切にする運営」をスローガンに初代委員長を拝命。2005年5月には日本科学未来館でのロボカップジュ二ア日本大会を運営しました。

その過程で、都立高専(東京都立工業高等専門学校・現東京都立産業技術高等専門学校)の先生方との実に感動的な出会いがあったのです。


To be continue・・・