― 混迷の時代、教育の原点とは? ―
新年明けましておめでとうございます。
当アカデミーも発足以来早20年が経ち、ブロックとロボットの科学教室運営を始めてから8年以上となりました。これまでのご父母の皆様の変わらぬご理解とご支援を感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
昨年突然世界が変わりました。東西の壁が崩壊して以来、世界の覇権を独占してきたアメリカが牽引してきたグローバル化した世界の諸問題が一気に吹き出た感があります。「100年に1度の津波」と言われるアメリカ発の金融危機・経済危機の波がヨーロッパ、日本だけでなく世界全体に同時に襲いかかり、先が読めない不安がデフレ不況への危機感を深めています。「新自由主義」の考えに支えられた市場の在り方の行き詰まりを、朝日新聞1月1日社説『混迷の中で考える―人間主役に大きな絵を』では「人間や社会の調和よりも、利益をかせぎ出す市場そのものを大事にするシステムの一つの帰結である」と言っています。
最も衝撃的な事件は6月の秋葉原無差別殺傷事件。私も偶然近くにいて、事件後の騒然とした現場に出合ってしまいました。残酷な事件に関わらず、ある種の共感を覚える若者がいることも大きなショックです。この事件を見田宗介氏(社会学者・東大名誉教授)は、12月31日朝日新聞『リアリティーに飢える人々』という文章で以下のように分析しています。
若者の夢や未来に対する想像力のスケールがどんどんしぼんで現実的になった結果、素晴らしい未来が必ず来るとは思えない「未来の消滅」と、自分はだれからも必要とされていないと思い込む「まなざしの不在」とがアイデンティティの問題として根底に横たわっている。人と人との関係の中で、愛情や関心であれ憎しみや干渉であれ、他者との間に交わされる関心が希薄な「空気の薄い時代」に、バーチャルな世界だけで人間は幸せにやっていけるんだと多くの人々が思い込み虚構に居直った「バーチャル(仮想) の時代」になっている。「青年たちが生きるリアリティを充実させる方法を見つけることができれば、もう一つの新しい時代が開かれると思います」と文章を結んでいます。
明るいニュースとしては、日本人4人がノーベル物理学賞・化学賞を受賞したことでしょう。日本の高い科学力を世界に示しました。しかし、一方で日本の子供たちの「理科離れ」「科学離れ」が指摘されています。特に国際的な学力コンテストでは、「勉強を楽しんだり、将来の夢に結びつけるような意欲の高さについてはどうだろう。(中略)授業は大体理解はするけれど、あまり心が弾まない。そんな教室の子供を思うと、点や順位よりこちらの問題がより深刻だ」(12月10日毎日新聞)というように、「学ぶ意欲の低下」が浮き彫りにされました。「知識はあるが、応用力が弱い。未知の問題に向き合った時の解決能力が乏しい。それが日本の子どもたちに対する評価である。その主な原因の一つが暗記中心の入試制度にあることは確かだろう」「今の子どもの環境や生活に即して、いかに好奇心や疑問の芽を引き出して育てるか。『受けたい授業』を工夫しなければいけない」(以上年12月10日朝日新聞) という指摘もありました。
2001年にノーベル化学賞を受賞した野依良治氏は、1月1日産経新聞『科学の夢 子供へのメッセージ 「自然の知」はぐくめ』で、問題は理科だけでなく『知離れ』であると指摘。「地球という有限の枠組みの中で、どうすれば人類が生き続けられるか。自然について教えてくれる科学は、そのもっとも基本となる知なのです」と結ぶその文章の中で、「子供はみな、生まれながらにして科学者です。花や動物や、虫が好きで、雲や太陽、星を見ては不思議に思います。これらはすべて理科です。教えなくても、自然と興味を持ち、いろいろなことを学びます。こうした体験から得る知識を『暗黙知』といいます。これに対して、教科書などに整理された知識が『形式知』といいます。今の子供たちは、自ら基本的な『暗黙知』を得ないまま、学校で試験のために『形式知』ばかりを詰め込まれています。理科離れが起きて当然です」と述べ、「(学校が責任をもってきちんと教えれば)成績向上のために塾に充てている時間を文学や美術、音楽などの教養を身につけるのに使うべきです。教科の力だけでは、世界の人々と肩を並べて生きてはいけません」と提言しています。
「国家百年の計」と言われる教育。今の教育に必要な条件が見えてくるような気がします。それは、「地球という一つの船の上で、人間や社会の調和を目指し、子供たちが未来に対する夢を持てるよう、自然や社会、人々との関係の中でリアリティを十分感じながら、好奇心持って生き生きと楽しく学べること」ではないでしょうか?しかし、現実は残念ながら、ゆとり教育の反動のせいか、従来と変わらぬ学力観のまま、いわゆる「勉強」が重視される風潮にあるようです。
20年前学習塾としてスタートした当アカデミーは当時、学校や他の学習塾と同様、ペーパーに頼った授業を行っていました。まさしく「勉強」を強要していたのです。しかし、10年近く前その教育の限界を感じ、ブロックとロボットを教材とした教室に転換しました。ブロックを始めとする具体物を教材として自分の手と頭を使って考える「ハンズオン学習」を通して、正解のない「オープンエンド」の問題に取り組む「ものづくり教育」。これを「コンストラクショニズム」という教育理論に基づいて、問題点や法則・原理を発見し、問題点の克服や法則・原理の応用を自ら行える力や、道筋を大切にした研究や開発の正しい方法を育てていこうというものです。日本の教育を少しでも変えることに貢献できればと願って活動してまいりましたが、ここ数年、科学館や小学校での出張授業において、多くの学校の先生方やご父母の皆様から、この問題解決型の授業に対する賛同のお声をいただけるまでになりました。
子供はみな、生まれながらにして科学者であり芸術家です。その資質をどこまで伸ばせるかは、大人の責任ではないでしょうか? 今一度、教育の原点に立ち返り、学びたいという人間の本能、知的好奇心と探究心を刺激し、世界が求める真の学力を身につけられるよう、講師一同、より効果的な教材・カリキュラム開発、より質の高い授業の実践に邁進していく所存です。
本年も変わらぬご指導、ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
かすかな光へ 谷川駿太郎 あかんぼは歯のない口でなめる やわらかい小さな手でさわる なめることさわることのうちに すでに学びがひそんでいて あかんぼは嬉しそうに笑っている 言葉より先に 文字よりも前に 波立つ心のささやかな何故?が芽ばえる 何故どうしての木は枝葉を茂らせ 花を咲かせ四方八方根をはって 決して枯れずに実りを待つ 子どもは意味なく駆け出して つまずきころび泣きわめく にじむ血に誰のせいにもできぬ痛みに すでに学びがかくれていて 子どもはけろりと泣きやんでいる 私たちは知りたがる動物だ たとえ理由は何ひつつなくても 何の役にも立たなくても知りたがり どこまでも闇を手探りし問いつづけ かすかな光へと歩む道の疲れを喜びに変える 老人は五感のもたらす喜怒哀楽に学んできた 際限のない言葉の列に学んできた 変幻する万象に学んできた そしていま自分の無知に学んでいる 世界とおのが心の限りない広さ深さを ------------------------------- |
To be continue・・・ |
教育用レゴブロックや算数ブロック、ロボットなどの教材で学ぶ科学教室トゥルース・アカデミー代表の中島晃芳です。 このブログは、当アカデミーが月に1回発行しているお知らせ「Truth通信」に、2004年より掲載している「トゥルースの視線」をまとめたものです。 科学教育や算数教育、ICT教育、ロボット教育、ロボカップジュニアなどについて私の雑感を書き記しています。ぜひご一読いただければ幸いです。