2007年7月1日日曜日

【第28回】フィンランドの教育⑥


 ― 日本の教育とどこが違うか ―

先日、ある生徒のお母様から、日経ビジネス2007.5.28号「フィンランド方式、校長裁量・・・本当の教育再生 光る現場に学べ」を頂きました。特集は『「学力世界一」を創り出す教育現場 フィンランド現地ルポ』。その中に、こんな文章がありました。「もう1つ印象的なのは、教師が教壇に立つ一方的な授業風景がすくないこと。(中略)いずれも自分で選んだテーマだ。教室のあちこちで生徒が行き来して情報交換をしている。まずは生徒同士が話し合い、それでも分からないことは先生が助ける」

実は、これがフィンランド教育の学力の高さを生む要因の一つなのです。「協働(co-operation)」であり、「共同(collaboration)」が、その根底にあります。フィンランドには元々「三人の鍛冶屋」という銅像に象徴されるように、協働の概念は根強く民衆の中に息づいているのですが、改革後の教育に大きな影響を与えた、発達援助学ユリア・エンゲストローム の研究が理論的な支えとなっています。個人は一人で生きているのではなく、共同的な活動システムの中で相互に影響しあことで、ある活動システムに生きる具体的な人間が発達していくという考えを持っています。

当アカデミーでは、互いに刺激し合い、意見の交換をし合うという生徒同士のコラボレーションから、互いに知恵や知識を高めていく指導法を採っています。フィンランドの教育と当アカデミーの教育理念は、様々な点で共通したものが流れているようです。

前出の日経ビジネス5.28号には、オッリペッカ・へイネマン元教育相のインタビューが載っています。90年代の教育大改革を30歳前後で成功させた元教育相の言葉は、短いながらも説得力があります。以下、一部抜粋して紹介させていただきます。

― なぜ、落ちこぼれを作らない教育に力を入れたのか。
人口が少なく、資源も乏しいフィンランドでは人が頼れる財産。誰一人として疎かにできない。よく平均の底上げに力を入れると、できる子が育たなくなるという批判を聞くがボトムアップ教育とエリート教育は二律背反するものではない。基礎教育の母体がしっかりしていないと、突出した存在は生まれない。

― テストで順位をつけないなど、他人との競争を煽らないことに配慮してきた。
人間は生まれながらに競争心を持っている。これは自然に育まれるものであって、意図的に引き起こすものではない。そもそも勝者の道筋は1つではない。競争は他人と比較するのではなく、自分との戦いであるべきだ。人間形成の段階で、無理に競争を煽ると子供たちが自分を見失ってしまう。

― なぜ、知識を詰め込むのではなく、「考えさせる」教育に力を入れたのか?
知識が全てムダとは言っていない。樹木に例えれば、時代が変わっても古くならない根っこの知識を教えるのは重要だが、枝葉末節まで詰め込ませる必要はない。変化が激しい時代に生き抜くには、自ら情報を集めて考え抜く力を育てることが大切だ。

【参考】「フィンランドにおける発達援助学の現在」
「コラボレーションの発達援助学 高い学力は『安心と共同』の学びか』」
どちらも、北海道大学大学院教授・庄井良信

To be continue・・・